脱サラリーマンpoyoのブログ

脱サラ中です。 留学・仕事・台湾・セブ島・ワーホリに関してのブログを書いています。いや、書いていきます!!

【衝撃】オーストラリアのシェアハウスで起きた夜の営み事件①!!!

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シェアハウスの存在をご存知ですか?

 

はい、そうです。1つの屋根の下で複数人が共同生活を行う家やアパートです。

 

以前テラスハウスという番組でシェアハウスに憧れた人もいるのではないでしょうか?

 

今回は私が実際にワーキングホリデー中に経験した

シェアハウスで起きたある事件をご紹介していきます。

 

その名も「オーストラリアのシェアハウスで夜の営み事件!!!

 

1.私が住んでいたシェアハウスについて

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まず本題に入る前に私が暮らしていたシェアハウスについて説明しますね。

私が住んでいたシェアハウスはオーストラリアのシドニー近郊にありました。シドニーは日本でいうと東京のような都市部の場所にあたります。

そんなシドニーの13階のマンションに私は住んでいました。

家はマンションでしたが、1部屋が1階と2階が分かれていて1階が女性部屋、2階は男性部屋各4人の計8人で暮らしていました。部屋と言っても寝るだけ場所。2ベッドが2つセッティングされていて他はクローゼットのみ超狭い部屋でした。

男女部屋の他には共用のリビングルームがあり、そこで食事をしたり、おしゃべりしたり、テレビをみたり。シェアハウスにプライベートはほぼないです。

そんな平和なシェアハウスである日事件が起きます。

 

2.イタリアから来た問題児。深夜4時に地震か?

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あの日も平和な夜だった。あの事件が起きるまで。。

 

当時私たちの部屋はドイツ人、イタリア人(以下:マシュー)、韓国人の私入れて計4人でした。

寝るときの配置は私は部屋を入ってすぐ左にあるベッドの2階部分。下にはドイツ人。

もう一方のベッドは入ってまっすぐにあり、2階にマシュー、下に韓国人でした。

 

その夜イタリア人以外は12時頃には布団の中に。目が冷めたのは深夜4時ごろ。

 

ガタガタ、ガタガタ

 

?「ye~~s. fuck me  fuck me.」

 

 

雑音と女性の声。しかも超近くから。これは夢?それとも・・・?

 

私達の部屋は狭すぎて会話はすべて丸聞こえです。

当然誰かをつれて帰って夜の営みなんかした暁にはうるさくて全員の目が冷めます。

 

マシュー「be quiet!!」

 

?「Ah..aa xdh?jdc?」

 

私「(お前かーいっっ)心の中」

 

30分後

 

バタンッ

ドアが閉まる音と同時に女性が部屋を出る。

 

マシュー「Zzz...」

 

私「コイツ、、人のこと起こして(怒)」

 

寝れなくなった私はリビングルームを通りベランダへ

 

ドイツ人と韓国人もつられてぞろぞろと

 

ドイツ人「激しかったなww」

 

韓国人「最初地震かと思ったww」←オーストラリアに地震は無い

 

ドイツ人「マシュー早かったww」早漏って意味

 

私「www」

 

 

同日

 

午前10時すぎ。同じくベランダで3人で話していたところにマシュー登場。

 

私「昨日の女だれ?」

 

マシュー「それが、、、顔も名前もわからないんだ。」

 

一同「wwwww」

 

3.まとめ

いかがでしたでしょうか。少しゲスな話になってしまいましたが、

マシューいわくこの女性はアメリカ人(?)みたいなことを言っていました。クラブでお互いに酔ってて連れ込めたんだとか。

 

最初に話したとき「俺は英語が苦手でシャイだから外国人とのコミュニケーションは苦手なんだ」って言っていたんだけど、お前のコミュ障どこいったww

 

今回は①ということで今後数作シリーズを書いていきます。すべてノンフィクションです!!!

 

シェアハウスは日本でもできるので是非調べて見てください。

 

※くれぐれも人に迷惑をかけることはしないでくださいね♪笑

 

脱サラする?フィリピン留学に行こうか迷っている人への3つのメッセージ

公務員だから一生安泰

終身雇用制度があるから安定

 

それで良いのでしょうか?

 

何の変哲もない、個性もない人生を過ごすことがあなたの目標なら

それで良いかもしれません。

 

ただ、人生は私達が思っているより短くて、

気が付いたころには死神が近くまで迎えに来ています。

 

いつ死ぬかもわからない人生だから。

 

何事にも挑戦していきたい。

 

 

脱サラする?

フィリピン留学に行こうか

迷っている人への3つのメッセージ

 

1.本当に大切なことに気づける

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あなたにとって大切なコトやモノはなんですか?

 

ご存知だと思いますが、フィリピンは貧困国です。

 

しかし彼らの笑顔はとても素敵です。日本人より明らかに笑顔が多いです。

 

時給約300円、洗濯機は買えず水を貯めて洋服を手洗いし、

ドライヤーも買えず朝は髪が濡れたまま出勤する日もあります。

 

それでも彼らの笑顔は輝いている。

 

日本にはモノが溢れ、なに不自由なく生きていけます。

 

だからこそ気づけない。

 

お金とか、ブランドとか、家が大きいとか良い車に乗れるとか。

 

過去の私が凄い小さい人間に見えてしまいます。

 

本当に大切なモノってお金じゃないんです。

 

食べる物があること。

 

寝る場所があること。

 

今この瞬間生きていること。

 

家族が、自分が、友達が元気でいること。

 

私達は「幸せとはなにか」を忘れてはいないでしょうか。

 

2.後悔しない人生を歩むきっかけになる

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アメリカでのデータで、80歳以上を対象とし、

 

人生で後悔しているコトを調査したところ、70%以上が

 

「チャレンジしなかったこと」

 

と答えたそうです。

 

 

余命を宣告された女性の話で印象に残った言葉があります。

「私は自分に嘘をつき、やりたいことを後回しにしてきたが、

もう回す後が無くなった。私の人生は何だったのだろうか。」

 

 

よく自分の仕事に大きな不満を持っている人がいます。

 

「なんでこんな仕事しなきゃいけないんだよ。」

 

「仕事行きたくないなあ・・・」

ちなみにこれは過去の私です。

 

仕事終わりの居酒屋での愚痴大会

 

週末は昼過ぎまで爆睡

 

何一つ満足できていなかった時期がありました。

 

そんな自分がイヤで、たった1度の人生で何かを変えたくて。

 

そんな思いでフィリピンに行きました。

 

異国での生活がしたかった。

 

英語の勉強がしたかった。

 

外国の人の生活や文化、歴史を知りたかった。

 

きっかけはただの好奇心。

 

 

前職を退職する際に上司に言われた言葉があります。

 

「留学して帰って何すんの?」

「この年で留学はリスク高いんじゃない?」

 

確かに私には明確な目標というモノがなかったのは事実です。

 

ただ今思うことは。

 

チャレンジして良かった。

 

留学してできた夢もあります。

 

今はその夢に向けて全速力で走っています。

 

叶うか叶わなか?

 

叶えるんです。

 

もしその夢が叶わなかったとしても一切の後悔はないです。

 

チャレンジしたんだから。

 

3.カーネル・サンダースは65歳で起業した。人生に遅いはない。

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 出典articleimage.nicoblomaga.jp

 

~するには遅いという言葉を聞きます。

 

 

カーネル・サンダースは65歳で起業しました。

 

そして今もなおファーストフードチェーンを代表する起業の1つとして

 

その存在は知られています。

 

 

フィリピンで留学している間に定年後に来ているかたに

 

何人か出会いました。

 

私の固定観念で60歳以上の方が来られるのは

 

想像できていなかったので正直驚きました。

 

ただ、どの方も英語力は明らかに向上していましたし、

 

定期的なテストのスコアでもそれは証明されていました。

 

「留学なんか若い人だけしかいないだろう?」

 

いやいや、全然そんなことないです。

 

若いからとか、若くないからとか

 

早いとか遅いとか

 

そんなの関係ないんです。

 

世間を気にして生きてしまうといつか後悔します。

 

そろそろ自分の人生を生きませんか?

 

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

フィリピン留学の魅力は「安い」とか「観光スポットが周辺にある」

といったイメージの方が多いかもしれません。

 

今回は少し目線をずらして、フィリピン留学の魅力を語ってみました。

フィリピン留学だけではないですが、この記事を通して少しでも多くの人が自分の人生を本気で生きれるようになれたらと思います。

学生→社会人→留学生→ニート→フリーター(←今ここ)を経験して感じたこと

こんにちは、やる気のあるフリーターpoyoです。

 

私の人生は人より露頭に迷っている(?)ように見えるかもしれませんが

めっちゃ楽しんで生活しています。

 

今日は各社会のポジションで私が感じたことを書いていきます。

 

 

学生時代

 

子供から大人になるまでほとんどの人が学校に通います。

 

「部活に没頭しすぎて勉強しなかったり」

 

「学校サボって友達と遊びに行ったり」

 

「高校生になって初めてのアルバイトでお金貰えて嬉しかったり」

 

「親に反抗してあまり口聞かなかったり」←私ww

 

たくさんのことを学生時代に学びます。

 

人の基礎は学生時代の生活環境や出会った人々で形成されていると

言っても過言ではないかもしれませんね。

 

 

ちなみにpoyoの学生時代(←誰もキョウミナイw)をちょっと紹介します。

 

私の高校は家から1時間弱のところにあって、

 

JR南武線で30分 東急田園都市線で20分 

 

徒歩・自転車の時間が約30分の距離を通っていました。

 

朝の東急田園都市線は缶詰以上に人が詰まっていました。

 

私は毎日そのパンパンの缶詰の中の1部分。

 

学校には友達があまりいなかったので東京を流れる多摩川

 

1人で日向ぼっこしている日や、

 

約100駅位ある電車の終点まで行って、

 

「降りずに帰る」

 

というわけのわからないことをしていましたww

 

テスト前は「ちょっと勉強しないとおお」って思いながらしないタイプです。

 

私の周りの数少ない友達もいつも「勉強全然してなかったやびゃあ」って

 

言っているのにもかかわらず赤点(30点以下)ではない集団詐欺師状態。

 

学生時代まとめ

私の学生時代は振り返ると無駄なことをしていたことが多かったです。

社会に出る前の未熟な時期ですからしょうがないですませましょうか。

 

学校に通っていたのは本当に義務って感じでした。

 

行くことが当たり前。何の疑いもなく社会のレールを順調に歩いていました。

 

小学校・中学校・高校・大学と何の為にいったのか未だによくわかりません。

 

ただ今の私の土台はこれらの教育システムから造られているのかな?

 

と少し思います。

 

学校ではもっと「税金のこと」とか、「仕事のこと」とか学びたかったな。

 

就活したときの私は「仕事ってなにがあるの?」状態だったので

 

「別に働きたい職業ないなーって思っていました」

 

みなさんはどうでしょう?

 

結局の学生のゴールって「就職すること?」

 

多くの時間を費やして学んだ各教科は意味があったのでしょうか?

 

私にはまだココの答えを出せていないのです。

 

出す必要なんて無いのかもしれないですが、もし私に子供ができたら

 

「生きることの本当に大切なことを教えたい。」

 

 

ただ、「学校は義務だから行きなさいとか」

 

「みんなちゃんと行っているからとか」

 

「あの子の成績全部5だって、あんたも頑張りなさい」

 

じゃなくて、もっと本質の部分を教えたい。

 

成績なんて知識はついてもそれを生かせないと時間の無駄に感じてしまう・・

 

 

涙が溢れた社会人時代。ハッピーニューイヤーのはずなのに・・・

 

「朝6時出社、外はまだ薄暗い冬の空。

帰宅は0時を過ぎ、太陽を見ることすらできなかった日々」

 

私の中で社会人は悪夢であり、また人として成長できた日々でもあります。

 

学生時代でも述べたように、私は特に就活をせず、就きたい仕事もなく、アルバイト先の面接を受けることに。

 

3回の面接を経て合格→社会の期待を胸に入社したが

 

同時に社畜デビューとなりました。

 

大手飲食店チェーン。

 

勤務時間はシフト制でした。

 

お店の状態により忙しさに波があります。

 

入社半年後の悪夢

 

東京都内の店舗に配属となった私。

 

出勤時間は基本的に10時~早くて24時まで

 

毎週月曜日と月末には棚卸しという商品の在庫を

数えたり利益を確認したりする作業があったので帰宅は深夜2時~3時

 

数が合わず、棚卸し→そのまま帰らず仕事という日もありました。

 

残念なことに上司はたいてい22時には帰っていました。

 

ゴールデンウィーク、お盆、年末年始の繁忙期は

アルバイト・パートさんが休みがちなのでその分さらに過酷になります。

 

年末年始は朝6時から仕込みを行い、帰宅時間は24時頃

 

年末年始は唯一営業時間が短かったから気持ち早く帰れていました

 

その分出勤時間が早いので本末転倒ですがwww

 

年末年始なので大晦日を挟みます。

 

当然ながら月末の棚卸しは私を家には返してくれません。

 

さらにその次の日が月曜日なんていう棚卸し社畜フルコンボセットの年がありました。

 

ある日の深夜、職場は私1人。

 

疲労のピークに達していたのか、無意識に自然と涙が溢れました。

 

そのときはもう仕事ロボットと化していたので、

自分の感情に気付いていなかったのです。

 

仕事をするのが当たり前だという教育、世間の風潮、そして日々の私の習慣が

私を仕事ロボットに仕立てあげていたのです。

 

都合の良いように書いていますが、現に過労死の問題や仕事での自殺が

日本で多いのは少なからず日本の道徳教育が影響している部分があると思います。

 

私は決意しました。いつか絶対退職しようと。

 

それから約3年の月日が流れ、私は退職しました。

 

なぜ3年もの間辞めなかったのかというと、

 

自分が疲れていても、お客様に喜んでもらえる飲食店に誇りを持っていたんです。

 

飲食店の仕事をやりたいという人は少ないかもしれません。

 

でも、私は少なからず飲食店の仕事が好きだった。

 

もう1つ理由があって、自分のお店を持ちたかったんです。

 

チェーン店だったので雇われ店長ですが、

 

入社する前に、いつか店長になりたい。

 

って思っていたんです。

 

幸いにも2年目が終わる頃に店長になることができました。

 

お客様に感謝されて、アルバイトのスタッフがココで働けてよかった

 

って思えるお店を作りたかった。その一心でした。

 

店長としての職務を経て、私は入社3年半後に退社しました。

 

辛く、苦い社会人経験ですが、今思えば通れてよかった道だと感じています。

 

社会人時代まとめ

社会人時代は苦しい時期が続きました。

耐えることを学ぶ良い機会だったのかもしれません。

 

ただ、これから社会に出る人いるのならが覚えておいてほしい

 

必ずしも辛いことだけが社会人ではないし。

世の中にはたくさんの企業があります。

 

十人十色というたとえが正しいかわかりませんが、

 

10の企業があれば10の性格をもった会社があります。

 

そういった会社を見つけてください。

 

社会人→学生へ。英語力0で異国の地フィリピンへ留学

「留学ってすごいな」

「頭良いんだね」

 

って言葉をたまに並べられますが、私は一切すごくないし頭も良くないです。

 

留学を決めたきっかけはスティーブ・ジョブズ氏のこの言葉

 

"もし、今日が人生最後の日だとして、

私がこれからやることは本当に私がやりたいことだろうか"

 

"If today were the last day of my life, would I wanna do what I`m about to do today"

 

読書が好きだった私の目に飛び込んだジョブズ氏の多くの言葉は私の

胸に突き刺さり、また、ワクワク感を与えてくれました。

 

あの衝撃は今での忘れません。周りの景色が徐々に変わっていきました。

 

「私はまだ生きている=やりたいことがやれる」

 

そして私が選んだのは留学。

 

留学というと私も、

 

「英語ができる人が行くんだろうな」

「頭良い人ばっかなんだろうな」

 

っていうイメージでした。

 

でもそんなこと私には関係なくて、とりあえず留学がしたかった。

 

もともと旅行が好きだったので

 

"英語が勉強できる=世界の国々で旅行や生活、仕事ができる"

 

っていうイメージができたんです。

 

実際行ってみて、

 

最初マジでわからなかったです。

 

TOEIC235点という超ロースコアだったので一切最初は理解できなかったんです。

 

ちなみにTOEICは990点満点の4択問題なので、

適当にやっても確率で250点とれる計算ができます。

 

当時の私はなぜか300点が最低点だったので衝撃を受けました。

 

200点台を聞いたことがなかったので・・・笑

 

フィリピンには結局9ヶ月ほどいました。

 

文化・習慣・性格の違いには驚かされることが多かったです。

 

日本の常識は海外では伝わらないという意味がわかりました。

 

一番僕が驚いたのは

 

貧困国であるにもかかわらず、日本人より笑う人が多いことです。

 

時給約300円程度の人たちです。

 

ご飯もたくさんは食べれません。

 

食べ物も芋やバナナ、変なお餅。

 

家には洗濯機がないので桶に水をためて洗います。

 

ドライヤーがないので朝髪は濡れたまま出勤します。

 

書けばキリがないですが、私は1つ誤解をしていました。

 

お金がない=不幸

 

というのは完全に間違っていました。

 

私の生きることへの考え方が浅かったと感じた瞬間でした。

 

その後私はフィリピンで出会った台湾人の友達の家に1ヶ月

 

オーストラリアで6ヶ月生活することになります。

 

各項目の詳細については日々更新していこうと思っています。

 

そして私は人生初ニートになります。

 

留学生時代まとめ

留学というと、

 

お金が高い とか 英語ができなきゃ行っちゃダメ

 

とかそういうイメージがあるかもしれませんが、

 

留学のハードルは年々低くなっています。

 

特にフィリピンは近いですし、2週間位からできるモノもあります。

 

違う国の文化や価値観を学ぶ機会は人生でそうなんどもできる経験ではないですし、

 

経験するのは若ければ若いほうが良い気がします。

 

中には定年後、60過ぎで来られるかたもいました。

 

なにかに挑戦することに早いとか遅いってないんだなった感じました。

 

カーネルサンダース(ケンタッキー)の前に白い服の高齢の方が

立っていると思いますが、

 

サンダースさんは、65歳で起業しました。

 

「みんなに僕の美味しいフライドチキンを食べさせたい」

 

という思いから始まったそうです。

 

素晴らしすぎますよね!!

 

話が脱線しましたが、私は価値観が人生単位で変わる留学をオススメします。

 

帰国後、私はニート。社会不適合者?

帰国後の私は約2ヶ月仕事をしませんでした。

 

仕事をしなかったと言ってもずっと家で怠けていたわけではありません。

 

本を読んだり、パソコンで調べ物をしたり、

とてもクリエイティブな日々を過ごしていたニートです。

 

自分なりに本気でやりたいことがなんなのかを見つめ合っていました。

 

正直海外に行く前と行ったあとでは明らかな変化がありました。

 

行く前の私

・物事に対してネガティブ

・夢も目標も無い

・帰国したら就職しないと行けないと考えていた

 

行ったあと

・すべての物事に対してポジティブ

・夢や目標、やりたいことがたくさんありすぎる

・別に就職を最優先する必要はない

・人の目を気にしない。自分の人生を生きれないことが1番怖い

 

正直私の人生に夢も希望もありませんでした。

まさに社会人時代はどん底という言葉が似合っている人間だったかもしれません。

 

しかし海外に行き、世の中を知り、人を知り、文化を知り

徐々に自分の中で変わっていったと感じています。

 

今は自身を持って言えます。

「もし今日が人生最後の日だとしても私は一切後悔していない」と。

 

「27歳で仕事をせずに家に引きこもっている」

 

というとあまり良い響きはないかもしれません。

 

しかしたとえニートだとしても、その人が社会に迷惑をかけずに

人生に満足しているのなら、そういう時期もありかなって思います。

 

今は"英気を養う時期"なのだと。

 

ニート時代まとめ

自分自身を見つめる時間は必要ですし、

すべてから開放されて"本当にやりたいこと"が見えてくることもあります。

 

ニートの人は悲観的になる必要はないと思います。

ただ、自分がやりたいと思ったことに飛びつくことは大事だと感じます。

 

そのさきに自分の未来が開けて、やりたいことが見つかることが多いからです。

 

やりたいことが見つかったら、自分にはできないと考えず、

自分ならできると信じましょう。

 

何かを始めるときに最初に自分が信じないと絶対にできません。

 

そしてフリーターを選んだ

ニートをしていた私の生活は徐々に乱れていきます。

 

朝6時就寝、12時起床のような天地がひっくり返ったような生活になっていました。

 

運動不足で体もたるんできます。

 

貯金も徐々に減っていきます。

 

今こうやって文章に書いて思うことは

 

私ダメニートになってたww

※「ダメ」というのは、あくまで自分自身の価値観で自分を客観的に見た意味です。

このような人が「ダメ」という意味ではないです。

 

 

正社員としての雇用は嫌だった。

 

なぜか?

 

・拘束時間が長い=自分の時間が割きにくい

・海外生活を経て、2年以内に企業をしたいので、その勉強がしたい

・1年後にもう一度フィリピンに行き、つぎは仕事をしたい

 

やりたいことが増えていくうちに、

日本で正社員で働くとかはどうでも良くなっていたんです。

 

そして私が選んだのは朝6時~10時半までの配送やチラシ折のアルバイト。

 

この時間帯なら勉強することの支障になりにくいし、体も動かせる。

 

実際働いてみると、フリーターってめっちゃ幸せ。

 

 

アメリカの心理学者マズローが説いたとされる

 

マズローの5段階欲求というのがあります。

 

5段階なので5つあるわけで、こんな感じのピラミッドになっています。

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社会のコミュニティーに属しており、かつ自分のやりたいことができる。

 

というのはマズローの社会欲求と自己実現欲求が満たされるということになります。

 

これは満たされれば満たされるほど人生の充実感を感じるそうです。

 

正直社会人時代の私を振り返るとマズローの5段階欲求はボロボロでした。。

 

睡眠も食事時間もまともに取れず、自分の中の安全装置も働いてなかったと思います。

 

飲食店勤務な私はどこか社会の目を気にしていたので、誇りではありましたが

同時にコンプレックスでもありました。

 

やりたいことも見つかっていなかったので本当にボロボロ・・・

 

そう考えたらフリーターってめっちゃ良いです。

 

こんな事言うと叩かれそうですが、声を大にしてもう一度言います。

 

フリーターってめっちゃ良いですよーーー

 

フリーター時代まとめ

個人的にフリーターは何かと両立したい場合はめっちゃ良いです。

 

時間も作れて、体も動かせて、お金がもらえる。

 

ただ一生フリーターっていうのはあまりオススメはできません。

 

こんなこと言いたくないですが、

 

老後はどうするの?っていう

 

問題ですね。

 

年金はあてにできませんし、ずっと働くというのも厳しい部分があると思います。

 

お金に心配なければ良いと思いますが、そこは個人でしっかり考えましょう!

 

ここまで読んでいただきありがとうございます

私の人生の流れを書いていきました。

 

かなり省略しながら書いたのですが、結構な文字数になってしまいました・・・

 

補足的な感じで、これからどんどん記事を更新していきますので、

 

是非興味を持たれた方はまた他の記事も読んでいただけたら幸いです。